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中核症状ー記憶障害ー
記憶障害とは
軽いもの忘れはよく見られます。ふとした時に名前が出てこない、昨日話したことを覚えていないなどといった事は誰にでもあります。しかし年を重ね、子供や孫にもの忘れを指摘されたり、重要な事を忘れて失敗を重ねると不安になるでしょう。しかし「もの忘れが増える」=「認知症」では決してありません。健常者にもあるもの忘れと認知症としてのもの忘れとは基本的に異なります。正常な範囲のもの忘れとは知っていることを思い出すことが出来ない状態です。一方で認知症によるもの忘れとは記憶の記銘と把持の障害です。記憶障害の説明をする前にそもそも記憶とはなんでしょうか?簡単にまとめてしまうと「ものごとを忘れずに覚えていること」ですが、記憶の定義は時間の定義ほど難しいものです。「人の思いは所詮、記憶の奴隷」などの名言は多数ありますが、ここでは難しく考えずにいくつかの方法で分類します。
記憶
まず物事を記憶するには以下の3つの過程が必要です。
A 記銘 「情報が頭に入ること」
B 把持 「情報を脳内に留める能力」
C 想起 「情報を取り出す能力」
記憶は、目や耳を通して入ってきた情報を憶え込むことから始まります。これを「記銘」といいます。脳は記銘した情報を忘れないように、その情報を脳内に留めておく「把持」を行います。そして、「把持」した記憶を必要に応じて思い出します。これが「想起」です。度忘れの場合は、たまたまその時には思い出せなくても、他の時には思い出せます。また、正解を教えてもらえば「そうだった」と確認し、思い起こせます。これを「再認」と言います。したがって、記憶は把持されているのですが、たまたまその時に想起できないだけです。このような再認が確認できるもの忘れは認知症のもの忘れとは全く異なります。
(記憶の貯蔵時間からの分類)
記憶を保持できる期間は、その種類によって異なります。
①即時記憶
情報が入力されて1分程保持する能力です。ある出来事の記銘後すぐに想起(思い起こす)させるもので、想起までの間に干渉を挟まないものです。すなわち保持される情報は常に意識に上っています。簡単に説明すると「直前に見聞きしたものを再生する能力」となります。具体的には数系列の復唱(数字順唱)や、空間的系列位置の即時再生などで評価される能力です。認知症のテストでは数字を復唱させる検査があります。正常では7桁前後の記憶が可能です。
②近時記憶
近時記憶は即時記憶より保持時間の長い記憶です。ある出来事の記銘から想起(思い起こす)まで の時間間隔について定義はないのですが、3-4分から数日が現実的です。つまり即時記憶と異なる点は、記銘後ある程度の時間が経過してから想起させるため、他の要素に干渉される記憶です。すなわち記名された情報は一旦意識から消え、新たに思い起こさなければなりません。認知症の検査では、3つの単語を覚えてもらい、他の課題で注意をそらせ、後に3つの単語を答えさせる試験で近時記憶を確認します。
③遠隔記憶
発病する前の個人の生活史や歴史的事件の再生能力です。いわゆる昔の記憶を覚えているかどうかです。
(記憶の内容による分類)
長期記憶は内容により、陳述記憶と非陳述記憶に大別されます。
陳述記憶
学習によって獲得された事実や知識のことです
非陳述記憶
手続き記憶ともいい、学習ではなく技能によって獲得される記憶です。無意識に獲得される記憶のことで運転技能やスポーツ、楽器の演奏がそれに当たります。
陳述記憶はエピソード記憶と意味記憶の2つに分けられます。
エピソード記憶
日常用語の記憶に近く、個人が経験した出来事に関する記憶です。例えば、「昨日どこに行って何を食べたか」というような記憶です。長いものですと、最終学歴、職業歴、結婚など個人史となります。エピソード記憶は、その経験そのものと、それを経験した時の様々な付随情報の両方が記憶されていることを特徴とします。
意味記憶
日常生活に必要な世間一般の知識です。例えば、「車」が意味するもの(機能、大きさ、形、乗り物の一種であるという知識など)に関する記憶が相当します。
さて通常の「もの忘れ」と認知症はどこが異なるのかを次から説明して参ります。認知症でみられる主な認知機能障害とは、記憶障害、失語、失行、失認、遂行機能障害となります。難しい言葉が並びましたが少しずつ解説して参ります。
(健忘)
健忘とは,過去の経験を部分的または完全に想起できなくなることです。健忘には前向性健忘と逆行性健忘があります。
前向性健忘
受傷などをした時点以降の記憶が抜ける状態です。新しい物事を覚えることができなくなってしまう状態です。
逆向性健忘
発症以前の記憶が抜けた状態です。ある地点から遡っての記憶が引き出せない状態です。
記憶障害
記憶については前章で解説しました。認知症診療では中隔症状である記憶障害の程度を把握するために記憶の検査を行います。後述しますが、有名なものは長谷川式簡易知能評価スケール(HDS-R),Mini-Mental State Examination(MMSE)となります。通常のもの忘れ外来ではこの2種類の検査を行います。検査結果は、注意力・課題意識・他の認知機能などに影響を受けるので、大抵の認知症で低下します。しかし、病初期に記憶障害が特に目立つ認知症はアルツハイマー型認知症です。認知症における記憶障害の特徴を疾患毎に整理します。
(アルツハイマー型認知症の記憶障害の特徴)
近時記憶、エピソード記憶が顕著に侵害されます。一方で病初期は遠隔記憶は保たれています。よって数分、数時間前の事はさっぱり覚えていないが、数十年昔のことはしっかり覚えているのが特徴です。即時記憶や意味記憶は保たれているため、少し会話した程度では違和感を感じる程度で認知症と気がつかないケースも多いです。また初期は時間見当識は比較的保たれています。MMSEの試験では、日時の質問は正確に答えられるが、3単語の5分後想起は全く出来ないという結果は比較的多いです。またアルツハイマー型認知症の重要な指標は、各種検査の点数よりも日常生活における健忘です。日常生活におけるエピソード記憶の欠落が重要な指標となります。個人が何時どこで何をしたかというエピソード記憶がそっくり欠落することが目立ちます。よって、約束した内容ではなく約束自体を忘れてしまうのが特徴です。一方で、加齢による記憶障害は「新しいことや新しいものを覚えられない」といった障害です。
(脳血管障害性の認知症の記憶障害の特徴)
その他、脳血管障害性の認知症では、記憶障害がアルツハイマー型認知症のように前面に立つことは稀です。しかし障害される部位により生じる記憶障害も様々です、脳梗塞にしろ脳出血にしろ脳細胞を破壊します。その破壊される部位により千差万別の症状が現れます。アルツハイマー型認知症なのか?脳血管障害性の認知症なのか?それともその混合性認知症なのか?迷ったときは脳MRIの脳の障害部位と症状が一致しているのか確認を行えば診断は容易です。今度は記憶の領域について解説していきます。記憶の分類は先述の分類以外に短期記憶と長期記憶に分けられます。短期記憶は保持時間が約 1 分以内程度の記憶です。上述の即時記憶とは異なり、記銘から想起までの間に干渉が介 在してもしなくても構いません。長期記憶は短期記憶よりも把持の長い記憶です。さてこれらの記憶を行っている部位は異なります。
さてここで長期記憶がどこで行われているか説明します。記憶の回路はPapetz回路という回路で行われています。Papez回路は以下の部位から構成されています。
血管性認知症の場合、このpapez回路に携わる部位が障害されると記憶障害が現れます。
①海馬障害
前向性健忘は海馬を超え内嗅皮質や周嗅皮質を含むと強く現れます。また逆行性健忘は比較的長期間の健忘となります。病識は認められ、作話はありません。
②脳弓障害
前向性健忘は強く現れます。病識は認められ、作話はありません。
③視床障害
両側損傷では長い逆行性健忘を認め、 作話がが多いです。 左側病変ですと、発話減少、漢字想起不可、小声など目立ちます。
④内包膝部障害
病識がなく作話を認める逆行性健忘が多いです。
⑤脳梁膨大後域障害
前向性健忘が強く、逆行性健忘は短いです。作話は認めません。
⑥前脳基底部障害
出来事は記憶しているが、それらの関係を記憶できないです。 作話は質問された時以外にも、自ら作話を繰り返します。
(レビー小体型認知症)
レビー小体型認知症の記憶障害は、アルツハイマー型認知症との混合性認知症でない限り記憶障害の程度は軽度です。記銘力低下よりも記憶再生障害が目立ちます。内側側頭葉障害というより前頭葉性の記憶障害が主体のためです。また記憶障害を含めた認知機能障害は変動性なのが特徴です。日内変動、週単位、月単位の変動が強いことも特徴ですので長谷川式簡易知能評価スケールやMMSEの結果も検査日によって変動します。せん妄と鑑別が必要になりますが、他に特徴的な症状が多彩ですので迷う事はあまりありません。
(前頭側頭葉変性性認知症の特徴)
進行すれば前向性健忘、更に進行すれば逆行性健忘が出現します。しかし前頭側頭葉変性性認知症は症状が非常に多彩です。近時記憶障害が初発のアルツハイマー型認知症と比較すると記憶障害も非常に多彩です。